日本通運×侍ジャパン野球教室を開催 子どもたちが「世界一の首脳陣」と野球で楽しむ
2019年11月23日
侍ジャパンのダイヤモンドパートナーを務める日本通運株式会社と、侍ジャパンによる第3回「日本通運×侍ジャパン野球教室」が11月23日(土)、埼玉県のNITTSU浦和ボールパークで行われた。
あいにくの雨模様のため室内練習場で行われたこの日は、都市対抗野球大会44回出場、社会人野球日本選手権21回出場、今年も両大会に出場し日本選手権ではベスト8入りした日本通運野球部の選手・コーチングスタッフの講師36名に加え、特別講師として先の「第2回 WBSC プレミア12」で優勝、10年ぶりに世界頂点を獲得した侍ジャパントップチームの稲葉篤紀監督、井端弘和内野守備走塁コーチが参加。
埼玉県内の野球チーム所属の選手(5~6年生)など女子選手約10名を含む計110名が参加しての開会式で日本通運・藪宏明監督が「今日の練習で1つでもヒントを得て将来の侍ジャパン選手が生まれることを願っています」とあいさつを行った後、日本通運・今村恒太コーチによるアップから野球教室が始まった。
15分ほどのアップを終えると、子どもたちは4班のローテーションで指導を受けることに。ティー打撃のコーナーでは稲葉監督が指導担当となった。
稲葉監督は体格のいい選手には「カラダ大きくていいなあ!」、プレミア12でも攻守に躍動した巨人・坂本勇人選手に打撃フォームが似ている選手を見つけると「勇人にそっくりだな」などと気さくに声をかけまずは子どもたちの緊張を解くと、自らもバットを握ってバッティング理論を惜しみなく伝授。
「まずはテイクバックをしっかりとること。その後にインパクトの瞬間に力を入れて打球を飛ばしていく。実は打撃と”太鼓の達人”は似ているんだ。太鼓をタイミングよく叩くように、来た球をタイミングよく打たないとダメだよ」と子どもたちにゲームを例にとって全体像を話すと、体重が後ろに残りすぎてしまう選手には「ツイストのように打ってみよう」と高いレベルの練習方法も伝えていた。
一方、井端コーチは守備指導を担当。「守備で両足を着地した際に、どちらの脚を踏み出したらいいか分からないです」という質問に対しては「守備というのは、普段歩くのと変わらない。右足が出たら次は左足が出る。そのタイミグで踏み出してみよう」と基本的な動きを使って分かりやすく説明した。
その後、子どもたちは日本通運の選手たちが投げるゴロの捕球や、2人1組でのグラブトス、ショートバウンド捕球などでみるみる技術を高めていくことに。これには見学していた保護者からも「もっと早く習っていればよかった」という声が思わず上がっていた。
こうして充実した野球指導が約2時間行われた後、教室は稲葉監督、井端コーチ、日本通運キャプテンの浦部剛史内野手、侍ジャパン社会人代表経験も豊富な木南了捕手による質問コーナーへ。ここでは子どもたちから多くの質問が飛んだ。
「少年時代の1日に振る素振りの回数はどのくらいでしたか」という質問に対して稲葉監督は「特に振る回数は決めてなかったですね。とにかく毎日バットを握りました。僕はプロでも毎日素振りをしました」。井端コーチは「朝、帰宅時、寝る前とバットを振りました。稲葉監督同様に振る回数では無く、毎日バットを振りました」と「継続が力なり」であることを説いた。
また「フライが太陽と被った場合はどうすればいいですか」の問いに対して稲葉監督は「実際は重なったら捕れません(笑)。プロでもサングラスなど工夫をして捕球します。少年野球ではサングラスが使えないと思うので、グラブや手で太陽を隠し捕れる角度を探せば大丈夫だと思います」と現役時代に内野手・外野手両方でゴールデングラブ賞を獲得した技の1つを披露。最後はじゃんけん大会で稲葉監督と井端コーチのサイン入りバットやボール、侍ジャパングッズなどを抽選し、会場に笑顔があふれる中ですべてのプログラムが終了した。
閉会式で稲葉監督は「侍ジャパンには各カテゴリーが存在しU-12やU-15などがあります。その先にはトップチームがありますので、皆さんには是非、1人でも多くプロ野球選手になり代表のユニフォームを着てもらえたらと思っておりますので頑張ってください」とあいさつ。続いて井端コーチは「短い時間でしたが、教えたことを参考に毎日取り入れてくれたらいいかなと思います。みなさんが今、野球を出来ているのも両親のおかげだと思いますので、感謝の気持ちを忘れずに1年でも長く野球をしてもらえたらと思います」と締めくくった。
こうして約3時間と短い時間の中でも会場中が笑顔に包まれたままフィナーレを迎えた「日本通運×侍ジャパン野球教室」。「プレミア12の優勝で野球熱が高まっているのを感じているし、子どもたちが今日も熱心に聴いてくれて教えがいがあった」と話した稲葉監督率いる侍ジャパントップチームにとっても、2020年東京五輪での金メダル獲得と、さらなる野球熱上昇に伴う野球人口増加、そして未来の侍ジャパン選手誕生へつなげる役割を再認識する一日となった。