文=横尾弘一
侍ジャパンが迎え撃つ欧州代表で中心となるオランダは、2011年のIBAFワールドカップで優勝し、2013年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも日本とともにベスト4へ進出するなど、世界の野球シーンで台風の目となっている。
オランダの野球は、J・C・Gグラッセが1901年にアメリカから帰国する際に持ち帰ったのが起源とされる。グラッセは野球規則をオランダ語に翻訳し、1911年には初の公式試合を実施。翌1912年にはオランダ野球連盟が設立され、1922年には国内リーグが産声を上げた。その後も、1961年からは日本でもお馴染みのハーレム・ベースボール・ウィークを開催。1970年には代表チームを国際大会に送り込むなど、緩やかではあるが、地道な進化を続けてきた。
1993年5月、東京ドームで世界オールスター対キューバというアマチュア野球の祭典が行われ、世界オールスターは王 貞治氏が総監督を務めた。そして、10の国と地域からエントリーした選手の中から王総監督が四番を任せたのは、エリック・デ・ブラウンというオランダの一塁手だった。182cm・82kgの左打者・ブラウンの打撃練習を見た王総監督は、「ヨーロッパにもこんな強打者がいるとは」と驚いていた。そんなオランダが世界のトップクラスに台頭したのは、1997年から野球の国際大会にプロ(元プロを含む)選手の出場が容認されたことが深く関わっている。
2000年のシドニー五輪でオランダは、それまでオリンピックでは負け知らずだったキューバに初めて土をつけた。そのチームに、オランダ南部ロッテルダム出身のロバート・エーンホールンと、旧オランダ領アンティル・キュラソー島出身のヘンスリー・ミューレンスがいた。歳が近く、ともにニューヨーク・ヤンキース傘下でプレーしていた二人は、オランダ野球の強化を誓い合う。エーンホールンは五輪が終わると現役を引退してオランダ代表監督となり、ミューレンスはメジャー・リーグ傘下に在籍するアンティル出身選手をチェックし、彼らがリリースされるとオランダ国内リーグへ送り込むなどエーンホールンをサポートする。そうして本格的な強化に着手すると、2002年にキューバで開催された第15回インターコンチネンタルカップの一次リーグでは、スターティング・ラインアップに6名のプロ選手を並べた日本を5-1で破ったのである。それ以降、オランダは国際大会においてメキメキと頭角を現す。中でも、世界一の実績を誇るキューバには圧倒的な強さを発揮。2011年の第39回IBAFワールドカップでは、日本はもちろん、二次ラウンドと決勝で2度キューバも破って世界一に輝く。そして、メジャー・リーグ通算434本塁打のアンドルー・ジョーンズ(昨年まで東北楽天)、日本でシーズン60本塁打の新記録を打ち立てたウラディミール・バレンティン(東京ヤクルト)らトップレベルのプロ選手も加わった2013年の第3回WBCでは、堂々3位とヨーロッパ勢最高の成績を収めた。
現在、日本と互角に戦える力をつけたオランダでは、4月から9月にかけて8球団によるリーグ戦ホーフト・クラッセ(トップ・クラスの意味)が開催されている。休日を中心に6試合総当たりの42試合で順位を決め、上位4チームによるプレーオフで優勝を競う。上位2チームはクラブチームの対抗戦ヨーロッピアン・カップへ進み、下部リーグとの入れ替え戦も実施される。各チームには20名前後の選手が在籍しているが、野球で報酬を得られる(いわゆるプロ)のは外国人をはじめ限られており、大半の選手は他に仕事を持つアマチュアだ。オランダ代表に選出されるようになると、オランダ・オリンピック委員会から強化指定選手として強化費を支給されるが、最高でも月額30万円ほどだという。また、ホーフト・クラッセは基本的に入場料を徴収していないので、チームの運営費などは支援企業からのスポンサー料で賄っている。例えば、オランダの空の玄関口スキポール国際空港に近いホーフトドルプを本拠地にするピオニアーズは、ファーセンという建設会社がスポンサーで、ファーセン・ピオニアーズという。2014年春にオープンした新球場もファーセンが建設しており、ジュニアサイズも含めて6面の野球場を備える“野球公園”は、ピオニアーズのファンだけではなく、野球少年からソフトボールの女子選手まで多くの人々が足を運ぶ。
このように、着実にファンも競技者も増加しているオランダ野球だが、世界一になったとはいえ、まだメジャー競技ではない。ホーフト・クラッセがテレビ中継されることはもちろん、試合結果が新聞報道される機会もそう多くはない。かつては、ホーフト・クラッセをプロ・リーグにしようという構想もあったという。だが、九州よりやや大きな国土に、東京都に近い1660万人が暮らす小さな国ゆえ、ホーフト・クラッセを地道に運営し、協会と各チームの努力で競技人口を増やしながら、野球の注目度を高めていこうという方針に転換している。
こうした歴史や現状の中で、オランダ野球を牽引する選手たちを紹介しよう。エース格は、キュラソー出身で34歳の左腕ディエゴマー・マークウェルだ。17歳でトロント・ブルージェイズと契約し、2003年にはAA級まで昇格してものの解雇。しかし、ホーフト・クラッセ入りすると緩急を駆使した投球が冴え、2004年のアテネ五輪からは代表の常連に。WBCにも過去3大会出場しており、キューバ・キラーとしても知られている。右腕では、ドミニカ共和国出身だが、オランダ人の父を持つ29歳のオーランド・イェンテマ、ホーフト・クラッセでコツコツと力をつけてきた26歳のケビン・ハイステックが注目株。イェンテマはサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下A級でのプレー経験があり、191cmの長身からクセのある速球を低目に制球する。また、ハイステックも193cmの長身で、独特な角度のストレートには重量感もあり、日本の打者が苦手とするタイプだろう。さらに、昨年は東北楽天でプレーしたルーク・ファンミル、今季から福岡ソフトバンクで投げるリック・バンデンハークと、実力派が先発もリリーフもこなす。そして、41歳になる今季も健在で“オランダ野球のレジェンド”と呼ばれるロブ・コーデマンズもチェックしておきたい。先発を任されれば試合序盤を引き締め、劣勢で救援すれば試合の流れを引き寄せる巧みな投球術は特筆ものである。
一方、野手にも新旧の実力派が揃う。ジョーンズやバレンティンが出場した2013年WBCでは六番だったが、2011年のワールドカップでは四番に座り、大会打点王に輝く活躍で優勝の原動力となったクルト・スミスは、アウトコースもレフトへ引っ張ることのできるパワーが自慢。ホーフト・クラッセのスターで、豊富な代表歴も誇るダニー・ロンブリーは、ここ一番での勝負強さが大きな魅力だ。守りでは、長く代表で扇の要だったシドニー・デ・ヨングに代わり、2013年WBCでマスクを被ったダシェンコ・リカルドが攻守に安定している。ベテランの遊撃手マイケル・ドゥールスマは、チームのまとめ役としても存在感を示す。ドゥールスマは現在の代表チームについてこう語る。 「キュラソーやアルバ出身の選手によって、代表のレベルが上がったのは確かだし、チームワークも最高です。オランダには、かつて植民地だったスリナムやインドネシアをルーツに持つ人々もいるから、混成チームという意識ではなく、母国のためにプレーする気持ちで一体となっている。アトランタ・ブレーブスのアンドレルトン・シモンズも大活躍しているし、これからもオランダ代表は強くなると思う」
さらなるレベルアップを求め、日本でのプレーを希望する選手も多いと言われるだけに、侍ジャパンとの対戦は気合十分で臨んでくるはずだ。昨年末、エーンホールン技術委員長がオランダ野球・ソフトボール協会から勇退した。オランダ野球は新たな時代を迎える。
ひかりTV 4K Global Baseball Match 2015
侍ジャパン 対 欧州代表
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