文=横尾弘一
1992年のバルセロナ・オリンピックで野球が正式競技に採用され、スペイン代表の野球を初めて見る機会に恵まれた。出場8チームは、アメリカ大陸からキューバ、アメリカ、ドミニカ共和国、プエルトリコ、アジアから日本とチャイニーズ・タイペイ。ヨーロッパ大陸には2つの出場枠があったが、スペインが開催国としてエントリーしたため、残る1枠はイタリアで、オランダは出場することができなかった。そして、試合をする度に大差で敗れるスペインの戦いぶりを目の当たりにし、開催国だからと言って無理して出場することないだろうと思えた。案の定、スペインは8位だったのだが、プエルトリコには劇的なサヨナラ勝ちで1勝を挙げる。振り返れば、この頃から大番狂わせを起こす魅力がスペインにはあったのか。
スペイン野球の歴史は意外にも古く、主要都市のマドリードやバルセロナでは1920年に試合が行なわれた記録がある。しかし、初めて試合が実施されたのは、それよりずっと昔で、スペイン在住のアメリカ人が、スペイン人とフィリピン移民の混成チームと戦い、11-5でアメリカ人チームが勝利したそうだ。その後、1927年にマドリードで結成されたパイレーツ・ベースボール・クラブが最古のチームだと言われている。そうして各地でチームが結成されると、1944年8月13日に初めて国内選手権大会がバルセロナで開催され、RCDエスパニョールが初代王者となった。これが、現在のトップリーグ、ディビシオン・デ・オナーの第1回とされている。翌1945年にスペイン野球連盟が創設されると、ルイス・バーリオ会長は近隣諸国に働きかけ、1953年にヨーロッパ野球連盟が結成された。
そうして1954年に第1回ヨーロッパ野球選手権が開催されると、スペインは準優勝し、翌1955年にホストとなった第2回大会では見事に優勝を飾った。しかし、これが現在までに唯一手にしたヨーロッパ王座である。1978年にはスペイン野球連盟に登録されたチーム(ジュニアや学生も含む)が100を超え、登録選手数は5000名に達したとあるが、競技レベルの面で目覚ましい発展は実現しなかった。
オリンピック競技採用とともに、野球の強化にも少しずつ力を入れ始め、1997年にはオリンピックの記憶がまだ残るバルセロナを舞台に、第13回インターコンチネンタルカップが開催される。ホストのスペインは、予選リーグ7戦全敗と精彩を欠いた。一方で、日本は予選リーグこそ4勝3敗と苦しんだものの、3位で準決勝にコマを進めると、同2位のオーストラリアを10-5で下し、決勝では国際大会151連勝中のキューバを11-2の大差で破る。日本の世界大会における優勝は、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を除けばこの時からない。そういう意味で、バルセロナのビラデカンス、モンジュイック両球場は、日本にとって栄光の記憶が残る場所なのだ。そして、この大会から国際大会へのプロ選手(元プロを含む)の参加が容認されたことにより、スペインの野球も前進する速度を上げてくる。
2005年にオランダ各地で開催された第36回IBAFワールドカップに出場したスペイン代表は、予選リーグAグループの第1戦で日本代表と対戦。1回表に1点を先制されるが、2回裏にデウィス・ナバーロが同点ソロ本塁打を放ってスタンドを沸かせる。ベネズエラ出身で、スペインとの二重国籍を持つナバーロは、2004年からディビシオン・デ・オナーでプレー。強肩とパンチ力を秘めた打撃で活躍し、2009年から2年間はイタリアのネットゥーノへ移籍するなど、ヨーロッパを代表する捕手として知られる。このように、スペイン語圏のドミニカ共和国、ベネズエラ、時にはキューバから亡命した選手たちもスペインでプレーするようになり、国際大会が開催される時期によっては、MLB傘下でプレーする選手も代表に加わってくる。2007年に台湾を舞台にした第37回IBAFワールドカップにも出場したスペインは、またも予選リーグで日本と同じグループに入り、2点差をひっくり返して7回まで3-2とリードする。8回裏に追いつかれ、9回裏にサヨナラ負けしたが、当時オリオールズA級に在籍したダニエル・フィゲロアら高いレベルでプレーする選手が合流したことで、当時20歳の左腕ポル・ジョピス、同じく20歳のスラッガー候補ダニエル・マルティネスら国内でプレーする若手のスキルアップが大いに期待された。実際、この年のヨーロッパ選手権ではイタリアを6-4で破り、オランダには敗れたものの延長11回で8-10と健闘している。成長途上のチームを率いたジェイク・P・モリーナ監督は、アメリカで大学や高校の指導者歴が長く、しっかり守って攻撃に移るという戦い方を徹底したため、終盤に集中力が切れて大量失点するパターンが少なくなる。そうして着実に進歩したチームは、2009年の第38回IBAFワールドカップでは、一次ラウンドでキューバに4-5、プエルトリコにも3-5と善戦し、二次ラウンドでもベネズエラを8-1で下すなど、時に大金星を挙げる平幕力士のような存在となった。
そんなスペインにとって、2013年WBCが出場4チームを予選で決める方式を導入したのはビッグニュースだっただろう。2012年9月、アメリカ・フロリダ州で実施された予選1組は、南アフリカ、フランス、スペイン、イスラエルの4チームがエントリー。過去2大会に出場した南アフリカは他のチームとの実力差が大きく、主催側はこの組からニューフェイスを出したいのだろうと見られ、それはユダヤ系アメリカ人のマイナー・リーガーをずらりと並べたイスラエル代表で間違いなかった。案の定イスラエルの戦いは安定しており、二回戦で対戦したスペインは2-4で敗れる。だが、敗者復活戦を駆け上がり、代表決定戦で再び顔を合わせると、1点を争う好ゲームを繰り広げ、7-7で迎えた延長10回に2点を奪って代表権を獲得する。キューバ代表のリードオフだったヤセール・ゴメス、ベネズエラ出身でヨーロッパを渡り歩く左腕リカルド・S・エルナンデスらも加わるなど、バラエティに富んだ布陣で歴史的勝利を挙げたスペイン。今回、欧州代表として来日するレスリー・ナカル投手とブレーク・オチョア捕手は、そんなシビれる経験をした選手である。
昨年の欧州選手権でも3位になるなど、活気にあふれるスペイン代表だが、一方で国内リーグのディビシオン・デ・オナーは、まだ発展途上にあると言っていい。テネリフェ・マーリンズ、CBバルセロナといった強豪が、クラブ対抗のヨーロピアン・カップに出場しないのだ。大会関係者によれば、こういうことらしい。
「バルセロナは、かつて名門サッカークラブのFCバルセロナが運営していましたが、撤退して独立運営になってから財政面が苦しい。また、テネリフェはカナリア諸島のチームなので、遠征するにもひと苦労なのです。昨年のヨーロピアン・カップの舞台裏を明かせば、出場チームの多くが選手たちの自家用車に相乗りし、オランダとチェコの会場まで来ていた。バス移動はイタリアのチームくらいだったでしょう。それがヨーロッパのクラブチームの現状ですが、スペインのチームにもぜひ出場してもらいたいですね」
昨年、CBバルセロナでは日本人の池永大輔投手がプレーするなど、多国籍という点でも魅力あるスペインの野球が、どう発展していくのか楽しみだ。
ひかりTV 4K Global Baseball Match 2015
侍ジャパン 対 欧州代表
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