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"世界の野球" 南の楽園フィジーのHAPPYベースボール通信 第7回「次の世代へ繋ぐバトン」

2019年12月11日

文=大嶋賢人

BULA VINAKA
フィジー野球の大嶋です。
前回の記事からかなり間が空いてしまいました。現在は日本に帰国し久々の寒さに身体を縮めながら記事を書いています。
今回は、前回の「U12 W杯」の続きと、フィジー 野球の今後の展望、次の世代へ繋ぐバトンについてお届けします。


まずは前回の記事で触れました、大会開催国の台湾との試合で死球(デッドボール)を受けたフィジーの選手の話から

第6回「U-12W杯~オープニングラウンドを終えて~」

試合の翌日、台湾チームからバッティンググローブを頂いた彼に不意にフィジーに戻っても野球を続けるかを聞いたら 嬉しそうにこう語ってくれた。
『死球は痛かったけど野球が好きだ。世界の舞台に来る事が出来た事を誇りに思う。野球をやっていて良かった。先のことはわからないけど、19歳までは野球を続けたい』

プロの規模では無いにせよ、何千人も観客を収容する球場で試合をした経験が彼らに与える影響は日本の野球少年のそれよりはるかに大きいものがあるに違いない。

大会後半は順位決定戦として別ブロックの下位チームと試合をさせて頂いた。
下位とは言え、大陸予選を勝ち抜いてきた各国に大敗を喫した。それでも彼らは俯く事なく笑顔を絶やさない。
そんな彼らに質問を投げかけてみた。「フィジーに戻ったらどうする?」
ザックリとしたこの問いにそれぞれの答えが返ってくる。
「友達を連れてくるよ!」とか「ピッチャーやりたい」とか「バッテイング練習」とかそんな答えが多い中、一人の選手が「俺のチームを作りたい」と端を発したのをきっかけに話題はプロ野球に「やるなら日本のリーグが良い」とか「いやいやアメリカだ」とか国外リーグの話をする選手が4人。(プロ野球選手になる前提で話を進めていた事に驚いた)
殆どの選手はプロ野球と言うものを知らないようだった。

フィジーにはプロ野球リーグが無い。
つまり”将来の夢はプロ野球選手”のような御馴染みのフレーズは存在し得ない。
大半の選手達が大会を終えたら野球から離れ、ラグビーや学業に専念すると言うのが国内の現状だ。この現状を打開するためにも“成功例”を生み出すのが我々フィジー野球協会の当面の目標と言えるだろう。
成功例と言うのは、ラグビーW杯で日本代表を率いたリーチマイケル主将の様な、生まれた国から離れた土地で活躍する様な選手である。(リーチ選手はニュージーランド人の父とフィジー人の母を持ち、何度かフィジーにも足を運んでいた)

実際にフィジー人の親を持つ選手(生まれ育ちはオーストラリア)がNPBで数年プレーしてMLBの球団と契約していたと言う話も聞いた事がある。
フィジー人の身体能力をから考えても不可能な話では無いはずである。
「プロ野球リーグが無い」という事実は“今後のフィジー野球に希望を見出せない理由になり兼ねない”との見解もあるが、私は逆に大きな希望があると考えている。
正確に言うと「プロリーグが存在しないのにも関わらず野球を続けている人間がいる」と言う事実が大きな希望になるのだ。
プロになるという大きな目標を持たずして、競技を続けているということは「単純に野球が好き」と言う事では無いだろうか。
私自身も20年近く野球を続けていたが、小学生の時の“将来の夢”はプロ野球選手だった。野球をやりたいから「プロ野球選手になりたい」と言っていたのか、「プロ野球選手になりたい」から野球をやっていたのか…

もし日本にNPB(日本のプロ野球リーグ)が存在しなかったら、きっと多くの野球少年たちの夢は別のものだっただろうし、そもそも“野球”というスポーツに出会っていなかったかも知れない。
その点、殆どのフィジーの野球少年たちは「プロ野球選手になる」と言う“大きな野望”を抱くわけでもなく、ただ目の前のボールを夢中で追いかけている。
そこにあるのは純粋な「野球が好き」と言う感情だろう。その純粋な動機に私は希望を見出している。
今後のフィジー野球は、この“純粋な動機”を継続的に引き出し続け選手を育てる事。そして選手の受け皿となる環境(グラウンドや大会)の運営を用意していく事になるだろう。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190730-00456074-fullcount-base

大会は日本VS台湾の決勝戦を4-0で台湾が制した。
大会には当コラムの初代寄稿者である白川元隊員も応援に駆けつけてくださり、選手との数年ぶりの再会に熱いものが込み上げた。
先輩隊員から引き継いだバトン。「あいつらは楽しむ天才だよね」と何度も言っていたのが本当に形になった。どんなに大差で負けていても笑顔を絶やさないフィジーの選手。変わらずに楽しみ続けるその姿を、応援して下さった世界中の人に届けられただろうか。

フィジー代表の試合結果は8戦全敗。
この結果をどう捉えるかは、これからの今後のフィジー野球を見て判断して下さい。
現時点では世界の強豪国との間に力の差が有ります。この差は選手たちの伸びしろであり、指導者たちの希望でもあります。
多くの事を吸収した彼らの世代が、数年後に代表チームの中心となりWBCやプレミア12の予選に挑む事を、そしてフィジー野球を背負っていくリーダーが彼らの中から出てくる事を願ってやみません。

私は大会を終え(今年の8月)JICAボランティアとしての任期を終了しました。よって青年海外協力隊の野球隊員としてフィジー野球と関わることはこの記事が最後になります。寄稿の間隔が空いてしまい最新の情報をお届けできずに申し訳ありませんでした。
肩書きは“元コーチ”になりますが今後ともフィジー野球に関わって行きたいと思います。

今は私の後任がすでにフィジーにて競技普及、技術指導の活動を行っています。
次回以降は彼がフィジー野球の最新情報を伝えてくれる事でしょう。今もフィジーで野球というスポーツを純粋に楽しむ少年少女のための活動が行われています。
U-12のレガシーか、私が帰国してからグラウンドに来る子どもが増えているそうです。
野球協会の役員も積極的に大会を運営している様子からも、世界大会に参加した事で彼らの中で「野球」の存在が大きくなっているのでは無いでしょうか。

来年でフィジー野球協会設立から20年になります。
永きに渡ってフィジー野球に関わってきた日本人のバトンが繋がれ、また新たなページが開かれます。裸足でボールを追うフィジーの野球少年たちの話を、今度は読者として楽しんで行きたいと思います。

短い間でしたがお付き合い頂き有難う御座いました。
そしてこれからもフィジー野球の応援を宜しくお願い致します。

次回、フィジー野球新コーチの挑戦乞うご期待
NO SWING
NO HIT!!!!!

南の楽園フィジーのHAPPYベースボール通信
著者プロフィール

大嶋賢人
1994年8月8日生
都内の教育大学を卒業後2017年8月よりFiji Baseball & Softball Associationに青年海外協力隊の野球隊員として配属。ナショナルチームの指導や巡回型普及活動を行っている。「年間300日雨が降る」と言われる首都スバ市で”NO SWING-NO HIT!”をモットーに現地の子どもと白球を追っている。好きな言葉は「出来なくて当たり前、出来たら男前」。

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