7月21日に閉幕した第43回 日米大学野球選手権大会でMLB予備軍とも言うべき好素材が揃うアメリカ大学代表を相手に前半戦は苦しみながらも、瀬戸際の2連勝で3大会ぶり19回目の優勝を果たした侍ジャパン代表。その要因には、周到な準備と臨機応変な戦略、そしてチームの一体感があった。
後半の積極策が転機に
前夜の雨天順延により翌朝9時から行われた第3戦(19日)、チームは0対1の完封負け。しかもわずか1安打のみの敗戦で優勝に王手をかけられた。スタッフ・選手たちは「積極的に攻めていかなくてはいけません」と口を揃えた。
すると翌日の第4戦、チームは大きな変貌を遂げる。12安打4本塁打で9対1と大勝。打順が下がった宇草孔基(法政大)の三塁打を皮切りに、下位打線を打つ海野隆司(東海大)の本塁打、初先発した郡司裕也(慶應義塾大)の2打席連続本塁打が飛び出した。さらに中軸を担う牧秀悟(中央大)もバックスクリーンに叩き込む本塁打を放った。どの選手も早いカウントから積極的に振っていく姿勢を見せた。
チーム作りの前提は「打てない」からこその機動力だった。最速が150キロを超える投手を左右で複数揃えるアメリカ大学代表投手陣。その相手と昨年の日米大学野球(2勝3敗)を戦った経験や事前の映像などの資料による分析を踏まえて、足や小技を使って崩すことを主眼に置いていた。その一方で「いかに球数を投げさせるか」という部分に意識を置き、消極的な打撃に繋がっていた。そこで、相手投手の疲労や登板機会が限られてくる第4戦、第5戦は果敢な姿勢に切り替えたことが功を奏したのだった。
万全の投手力と分業制
またそうした臨機応変な戦い方ができたのは、投手陣の力が大きかったと生田勉監督は語る。
「投手担当だった野村昭彦コーチには無理を言って“防御率0点台”というお願いしたのですが(5試合で自責点4と)計算通りでした」
投手陣は今大会、完全分業制を敷いた。これまでの大学代表の戦いは、先発投手は各試合完投を睨みながら長いイニングを投げ、そこから中継ぎを繋いでいた。しかし今回は先発を森下暢仁(明治大)と早川隆久(早稲田大)の2人に絞り、彼らはどんな好投をしていようと60~70球をメドに交代。5回ないし6回からは山﨑伊織(東海大)、佐藤隼輔(筑波大)、吉田大喜(日本体育大)、伊藤大海(苫小牧駒澤大)を繋いでいく継投策を取った。そして、「役割を明確にすれば必ず力を発揮できる」という生田監督の手応えに各投手たちは見事に応えたのだった。
緻密なデータと結束力
この分業制にも明確な意図があった。昨年就任した生田監督は選手たちの能力の数値化を導入した。スタッフに野球の動作解析や分析などを准教授としても研究する筑波大監督の川村卓氏を招き、筑波大OBの仙台大監督・森本吉謙氏とともに選考合宿から投手・野手それぞれで様々な計測を行った(選考合宿初日記事参照)。
これを選考の判断材料にし、球の回転数や回転軸で優れた数値を出した伊藤を絶対的な守護神に据え、球速140キロ台でもアメリカ大学代表打線から多くの空振りを奪った。 「目で見ての評価だけでなく、(他競技で行われているような)数値をもっての評価も合わせて選手を選考し、こうした結果が出たことは今後の野球界の発展に大きく繋がると確信しています」と生田監督は胸を張った。
もちろん、対するアメリカ大学代表の分析も当然十分に行き渡っており、大会終盤は良い当たりの打球が放たれても野手が正面で捕球してアウトに取るシーンも多く見受けられた。
そしてこの逆転優勝にはチームの結束力も欠かせなかった。代表24選手が決定してから、全スタッフ・選手でグループLINEを作成。目指す野球を共有するとともに、選手からの質問も募り意見交換を直前合宿前から深め、生田監督は「家族のようなチーム」と称した。
また、第4戦の試合前には、これまで打席機会の無かった元山飛優(東北福祉大)が選手たちに檄を飛ばした。
「オープン戦の時の打撃を思い出そう。自分をアピールしたいと思ってガンガン振って1打席を大事にしていただろう?初志貫徹で思いきりやろう」
初先発の第4戦で2打席連続本塁打を放った郡司は「この言葉でみんなが一つになれました」と感謝した。
この第4戦は5回から2イニングを無失点に抑えた村上頌樹(東洋大)が勝利投手、代打の古川裕大(上武大)がダメ押しの犠牲フライを放つなど今大会初出場の選手たちも活躍。元山も鋭い当たりのライトライナーを放ち、ベンチに戻るとスタッフ・選手たちが温かい拍手で迎えたことも結束を象徴する印象的なシーンだった。
強い結束に加え、緻密な測定の数値による選手選考と対戦相手の分析で果たした日米大学野球優勝。これは今後の国際大会を戦う各カテゴリーの侍ジャパンや野球界全体にとっても大きな指針を示す結果となったことだろう。