小久保裕紀前監督から稲葉監督へ引き継がれても、全幅の信頼感は変わらない。不動の二塁手は、攻守におけるキーマン。侍ジャパンに欠かせない常連メンバーとなっている。
遊撃手だった中京学院大4年時(2011年)、大学日本代表候補合宿に招集され、その攻守における俊敏な動きが選考委員の目を奪ったものの、日の丸のユニフォームを着ることはできなかった。当時の合宿には、のちに17年のWBCでチームメートとなる菅野智之(東海大→巨人)、小林誠司(同大→巨人)も含まれていた。
プロ入り2年目(13年)に二塁のレギュラーを奪取し、初のゴールデングラブ賞を手にすると(同賞は17年まで5年連続)、11月の「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」で初めて侍ジャパンに選出。全3試合にフル出場。第1、2戦は安打が出なかったが、第3戦で見せ場がやってくる。3回二死から中前打を放つと、二盗と相手投手の暴投で三進。岡島豪郎(楽天)の右前適時打で唯一の得点となるホームを踏み、3連勝で台湾遠征を終えた。小久保前監督にとっての初陣である、この強化試合での代表初安打、初盗塁、初得点、そして広範囲をカバーする守備力が菊池の評価を高めた。
翌14年には「日米野球」に選出され、打率.381(21打数8安打)と攻守で存在感を見せると、15年3月には欧州代表との強化試合でプレー。同年11月の「プレミア12」は最終候補メンバーに残っていたものの、最終登録で外れている。
16年は3月(対台湾)と11月(対メキシコ、オランダ)との強化試合で再び存在感を示し、17年の第4回WBCに名を連ねた。背番号4・菊池は遊撃手・坂本勇人(巨人)と二遊間を組んで、幾度もピンチを救う美技を披露。
キューバとの一次ラウンド初戦、初回に無死一、二塁のピンチを迎えたが、好プレーで併殺を完成させ、チームを乗せた。オランダとの二次ラウンドでは7回一死一塁、中前に抜けそうな打球をダイビングで捕球すると、そのまま、二塁ベースカバーの坂本へバックハンドトス。「最高の舞台で最高のプレーができた」と自画自賛したこのビッグプレーは、世界を驚嘆させた。
ところが、決勝進出をかけたアメリカとの準決勝。4回表、菊池の失策をきっかけに先制点を許してしまう。これまでの貢献度を考えれば、誰も責めることはできない。しかし、これで屈しないのが菊池の強さである。6回裏に汚名返上の同点ソロ(1対1)で食い下がった。ダイヤモンド一周後、ニコリともせず「(先発投手の)菅野に悪いことをしました。まだ取り返せていないですが、 何とかしたい気持ちで打席に立ちました」と語っている。しかし、試合は惜敗、2大会連続での4強敗退となった。菊池は全7試合に出場して30打数8安打、1本塁打、4打点、打率.267。数字以上の貢献度があったのは、説明するまでもないだろう。
準決勝敗退後に語った、菊池の言葉である。
「僕のミスで負けてしまった。またWBCに招集されて、そこでまた世界一を狙えるように、成長して頑張っていきたい」
あの悔しさを取り返すチャンスを手にした菊池。自国開催、2年後のオリンピックで世界の頂点をつかむ準備を、着々と進めている。