文・写真=元 野球日本代表 清水直行
一塁側アルプス席へつながる階段を上がると、天然芝の美しいフィールドが一面に広がっていた。3月20日の甲子園球場。現役時代に何度かマウンドで投げた経験があるが、観客席から見たのは初めてだった。
午前7時40分に東京駅を出発。新幹線で甲子園に向かったのには、理由があった。母校の報徳学園高で指揮を執る永田裕治監督が今大会での勇退を表明。その初戦をどうしても応援したかったのだ。
現地に到着し、7、8人の同級生と待ち合わせ。永田監督と同級生で1981年夏の甲子園の優勝メンバーでもある金村義明さんらも駆けつけ、アルプス席から学生たちと精いっぱいの応援を続けた。21-0の大勝。永田監督の甲子園通算21勝目は、兵庫県勢としても春夏通算300勝という節目の勝利になった。
ニュージーランドから一時帰国中で、スケジュールも詰まっていた。母校の勝利を見届けると、日帰りで東京へ戻った。直接、監督にあいさつする機会はなかった。
翌朝に目が覚めると、携帯電話に着信履歴があった。永田監督からだった。こちらから折り返そうと思っていたとき、再び電話が鳴った。
関係者から私が応援に来ていたことを聞いたようで、「来てくれたいたんだな。ありがとうな」と律儀にお礼の連絡をくれたのだった。「監督の最後なんで。ユニホーム姿を目に焼き付けておきたかっただけですから」。
話題は球児のことへと移る。「あのショートええやろ」「今年の1年はいい選手がいっぱいいるんや」。来年の報徳は間違いなく強い。だからこそ、後任の大角健二部長にバトンタッチする絶好のタイミングだと語っていた。まだ50代前半。監督を退くには早い気もするが、そこには、監督らしい配慮があったのだ。
私が小学校時代に所属していた少年野球チームであこがれだった近所のお兄ちゃんが報徳学園に進学したと聞いたとき、「自分も高校は報徳で甲子園を目指したい」と誓った。中学は部活の軟式野球。目立った成績も残せず、一般入試で受験した。入部当時はその他大勢の1人。球拾いと走るだけの「陸上部員」の扱いだった。
あるとき、下級生だけのチームが編成されることになった。多くの選手に実戦経験を積ませてあげたいという、当時はコーチだった永田さんのアイデアだと聞いた。私にもチャンスが回ってきた。自分でも信じられないくらいに力が伸びた。成長期に実戦の機会を与えられたことによる相乗効果で、エースへの道が開けた。
日大進学を強く薦めてくれたのも永田さんだった。私の中では、東京六大学へのあこがれもあった。永田さんは言った。「日大なら特待生で迎えてくれる。東京に出してくれる親御さんへの負担も減らせるやろ」。
私が卒業した直後から永田さんは監督としてチームを率いた。強豪ひしめく兵庫県で激戦を戦い続け、2002年春には全国制覇も達成。名将でもある恩師に、心からねぎらいと感謝の言葉を申し上げたい。
(構成協力:産経新聞社 田中充)
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著者プロフィール
- 清水直行(しみず なおゆき)
- 1975年11月24日生まれ 京都府出身。日大、東芝府中を経て、99年にドラフト2位でロッテに入団。2002年から5年連続で規定投球回、2桁勝利を継続し、エースとして活躍。05年は31年ぶりの日本一にも貢献した。04年のアテネ五輪、06年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に日本代表として出場。10年から横浜(現:横浜DeNA)。プロ12年間で通算105勝、防御率4.16。現役引退後は、ニュージーランド野球連盟ゼネラルマネジャー補佐、同国の代表統括コーチを務める。
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