文・写真=野中寿人
1950年代後半のインドネシアは、キューバ大使館との友好関係が強く、このキューバ大使館を介して野球が入ってきました。しかし、その2年後に開催されたインドネシア国民体育大会では、野球ではなく、ソフトボールに変わっていたという歴史があります。ここからインドネシアは男女のソフトボールが盛んに行われる様になり、現在では、男子ソフトボールが女子ソフトボールよりも国際大会で良い成績を収めています。
では、どうして野球がソフトボールに変わってしまったか?理由については定かではありませんが、当時の方々からの話によると、1つにはグランドの広さ、すなわち野球よりもソフトボールの方が、グランドの面積が小さいという理由が挙げられます。また2つめには、インドネシア人の性格による部分で、見た目によるところの、難しく、面倒なことよりも、安易で簡易と思われることを選択する傾向が強いということも考えられるようです。
そして、ソフトボールは1970年代後半から外国人からの指導を頻繁に受けるようになります。当時はニュージーランドなどといった国をメインとして交友関係を強めていきました。更に1980年初頭になると、JICA(国際協力機構)からソフトボール隊員がインドネシアに派遣され、インドネシア国内全土への広まりを見せます。しかし、このJICAからのソフトボール隊員の派遣も3代で終わっており、その後は、再度、ニュージーランドなどからの指導を受けています。
1990年代中盤になると、今まで、第1線で活躍をしていた男子ソフトボールのナショナルチームの選手たちが、年下の年代層の選手たちからの突き上げにより、代表チーム入りがままなくなります。そして、代表チーム入りを外れた男子ソフトボールの選手らが中心となり、野球が復活をして行き、野球のナショナルチームが編成されるようになったのです。そして1990年代後半から、元男子ソフトボール代表の選手たちと、少年野球から育ってきた若い年代の選手らにて、野球の代表チームを編成して国際大会へ参戦をしていきました。これが、インドネシア野球の歴史です。
以上の経緯から、当時、ニュージーランドなどから受けた動作上の指導が、今日の、野球への指導に大きな影響を及ぼしています。すなわち、ある意味、日本のソフトボールは野球の動作が基本にあると推測しますが、インドネシアでは欧米的な動作が基本となっています。つまり、アジア人体型のインドネシア人には、身体の構造上、この動作が適合していないと感じるのです。
現在のインドネシア国内全土において、現地の野球指導者は、全員がソフトボールの経験者であり、野球経験者は1人もいません。前項で記した様に、正しいとされる野球の動作を現役時代に彼たちも教わってなく、現在の指導においても教えられないというのが実情なのです。
以上の事柄に関連して、インドネシアでは野球を続けてきた選手が25歳を越えると男子ソフトボールへ転向してしまうというケースも散見されます。体力・技術・精神力を野球で培った多くの選手が男子ソフトボールへ転向をし、代表チームのレギュラーになっています。裏を返せば、野球の動作をある程度把握しているからこそ、野球からの転向者が既存のレギュラー陣を押しのけてレギュラーを獲得しているということが言えます。
さらに、女子ソフトボールを見て見ますと、代表チームの選手についても身体上の動作がまだまだ欧米式であるためにその成果が頭打ちになっている状態で、アジアカップなどの国際大会でもメダル獲得圏内に入れません。
先の項でも触れましたが、2007年にジャカルタで開催された女子ソフトボールアジアカップ大会で、上野投手らを擁した日本代表女子ナショナルチームがジャカルタでプレーをした際に、日本選手の動作をビデオ収録して、ミーティングでレクチャーを施しましたが、インドネシア代表女子ソフトボールの選手達や首脳陣には、動作上のバイオメカニズムが、あまり理解してもらえなかったと感じました。
結果として、日本人の指導者と現地の指導者が選手のフォームを見た場合、眼の付け所や追い所が全く異なってしまいます。ですので、有能な現地の野球指導者育成を早急かつ広い範囲で開始していかなくてはいけません。また、長年誤認識をしてきた野球動作についてもインドネシア人の身体構造に適合する動作へ早急に導いていかなくてはならないのです。
現在インドネシア国内において、男女の幼年期・少年期の年代層においては、最初は野球、すなわち、正しいとされる野球の動作を身につけてもらい、その後、野球、ソフトボールの選択は個人に委ねるといった指導と方法を、私から提案し、既に、国内の数州においては実行をしています。また、この様なことは、インドネシアのソフトボールと野球の歴史を見ても、現地の指導者では無理や摩擦が多すぎて、改革やテコ入れが出来ない非常に繊細な部分でもあります。ですから、全くの部外者である外国人によって施していかなくてはならない部分であると考えます。
ポイントを纏めますと、
現状、身体的な構造上でインドネシア人に適合していない上半身の強靱さを生かした「欧米的な」動作を、下半身を軸としてその軸を上手く使う、同じアジア人で身体構造が近い日本的な動作へと修正をしていくこと。
そして最終的な細部の部分では、選手個々の家系のルーツによる混血度などを見極め、選手個々に合った動作の補填修正を加えること。さらに、国の文化や風習の相違から全てを日本的なものにせずにその国独特の特徴を残し、生かしていく
ということになります。
決してソフトボールを軽視したり、過程を否定しているのではありません。ソフトボールの長い歴史に特別な敬意をはらいながら、野球を完全にソフトボールから切り離して物事を進めて行かなくてはいけないということです。そして、この様な現象はアジア野球途上諸国の中において、野球よりもソフトボールが盛んに行われてきた国々やソフトボール初動から野球が後発した国々においても、当てはまる現象であると感じます。
野球とソフトボールが全く同一の連盟組織になっている国もいまだに多く、野球もソフトボールも、先進国へステップアップを図って行くに際して、それぞれに独立した連盟組織にして行くのが好ましいと思います。
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著者プロフィール
- 野中 寿人(のなか かずと)
- 1961年6月6日生。日大三高野球部在学3年の夏に西東京代表にて全国高等学校野球選手権大会に出場。
その後、日本大学体育会硬式野球部へ進学。日本大学では1年の秋から体調を壊し2年間の休部をし、現役野球人生を終える。大学卒業後は、フィリピン、サイパンなどで仕事をし2001年にインドネシアのバリ島へ移住。2004年からバリ島の子供達に野球を教え始め2005年にリトルリーグを発足。2006年にはバリ州代表監督に就任、また、クラブチームを発足。2007年にはインドネシア代表ナショナルチームの監督に就任。2007年のSEAゲームスで銅メダル、2009年のアジアカップで優勝、同年のアジア選手権大会へ出場。その後、インドネシア代表ナショナルチームの監督を辞任し、地方州底上げの為に、東ジャワ州代表監督に就任。2011年のインドネシア国体予選で準優勝、2012年のインドネシア国体前哨戦で優勝、同年のインドネシア国体決勝大会で銅メダル。そして2014年からインドネシア代表ナショナルチームの監督に復帰をし、2015年の東アジアカップで準優勝。
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